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石筆を使用していた溶接工の胸膜中皮腫が労災認定(2013年8月)

2024.04.24相談事例

2013年5月、過去に手術で使用したゴム手袋を洗浄した後、タルクをまぶす再生作業に従事した元看護師さんが中皮腫を発症し労災認定されましたが、今年4月、名古屋南労働基準監督署は長年溶接工として働き2012年3月に悪性胸膜中皮腫でお亡くなりになったAさんの遺族に対する遺族補償給付と葬祭料の支給を決定しました。現在、Aさんの遺族の奥様は、療養補償給付と休業補償給付の手続きを進めています。Aさんの労災認定理由は、溶接工として長年鋼材に石筆を用いて「けがき作業」をしていたことでした。石筆の原料は滑石や老石で、これらにタルクが不純物として入っていることがあります。

Aさんの奥様から中皮腫で亡くなった旦那さんの労災請求について相談を受けたのは昨年の9月2日(日)に中皮腫・アスベスト疾患患者と家族の会東海支部が行った「アスベスト健康被害ホットライン」でした。ホットラインの1週間後には、Aさんの奥様と息子さんに事務所に来所していただき聞き取りを行いました。聞き取り時にAさんの社会保険記録などを見せていただき、Aさんが山陰地方で船の機関員として働いた後、愛知県内の4つの事業所で溶接工として働き、1970年代半ばに自ら鋼材を溶接する会社を起こし独立したことが分かりました。勤めていた県内の全ての事業所はすでに廃止になっており、会社に直接問い合わせをするのは難しく、まず法務局に行き会社の登記記録を取りました。Aさんが最初に働いた会社は造船関係の会社で、現在は四国に事業所を移しており、毎年、厚労省が発表している石綿労災認定事業所発表に会社名が載っていました。2番目に働いた会社は1番目の会社の子会社でAさんは出向の形で行ったと奥様に教えていただきましたが、この会社に関しては登記関係の資料を探し出すことが出来ませんでした。3番目の会社は造船会社で、4番目の会社は鉄工所で日本車輌製造株式会社の仕事も受けていたことを奥様から聞きました。造船や鉄道車両製造業界では多くの労働者がアスベスト関連疾患になっており、当初、私はすぐに労災請求できるだろうと予想していました。

労災保険の請求が出来るのは労働者と特別加入している一人親方や事業主です。A さんは70代で亡くなっており、中皮腫を発症した時はすでに引退しており、労災保険への特別加入はもうしていなかったので、労働者の時の職歴で労災請求を行うことにしました。労災請求は最終石綿ばく露事業場での職歴で行わなければなりません。4番目の鉄工所での勤務時に日本車輌製造の仕事をしていたということで、この事業所で請求をしようと考え奥様に電話で元同僚に連絡をとっていただくことにしました。この元同僚はAさんと同郷の男性で、1番目に勤めた会社から4番目に勤めた会社まで時期は少しずつずれるものの、A さんと共に渡り歩いた方でした。この元同僚からAさんの奥様への回答は、「アスベストは使っていなかった」ということで、元同僚から直接話を聞くため、私は改めて手紙で連絡を取った。元同僚は私と直接会って話をすることに難色を示し、結局、電話でお話を聞くことになりました。それによるとAさんは、1番目の会社では造船の仕事はなく、パワーシャベル部分を電気溶接する仕事をしており、3番目の造船会社では組み立てる前の、パーツの溶接を外でしていたということで、石綿の吹き付け作業を行っていたり、石綿製品を使用していたりする船内には入っておらず、アスベストにばく露する機会は無く、最後の鉄工所でも日本車輌製造の橋梁溶接の仕事をしていて、石綿の吹き付けをしたり、石綿部品が使用された鉄道車両の製造には関わっていなかったということでした。溶接中に火花が散る部分を保護する為、養生シートとして石綿布を敷くこともあるので、石綿布の使用はなかったかと聞きましたが、一度も使用することはなかったというお返事でした。

4番目の鉄工所が最終ばく露事業所である可能性が少なくなってしまったので、3番目に勤めていたZ造船でのAさんの職歴を追ってみることにした。このZ造船は既に廃止されていましたが、飛島村の元工場所在地まで車で足をのばしました。現在でも操業を続けている近所の造船工場で聞き込みをした結果、Z造船は名古屋造船株式会社の協力会社で、現在、物流会社の倉庫になっている建物はZ造船の旧工場建屋で、大家さんは現在でも廃止されたZ造船の関係者であることが分かりました。物流会社の倉庫事務所を訪ね、事情を話し大家さんと関係のある男性の電話番号を教えてもらいました。この男性はZ造船の社長の甥っ子で物流会社との賃貸関係の様々なことをしているということでした。早速、社長の甥っ子に電話で連絡を取り事情を説明し、もし、過去に石綿を使用していたのだったら労災請求用紙に会社証明をしていただきたい旨を伝えました。社長はすでに他界しているが、奥様はご健在ということで、奥様に問い合わせをしていただくことにした。後日、男性から電話があり、奥様は事業には直接関わっておらず石綿を使用していたかについては分からないことや、会社解散時に全ての書類を処分してしまいAさんの記録が残っていないということを伝えられました。名古屋造船株式会社の退職者にも当たってみましたが、Z造船がどんな仕事をしていたのか知らないという回答でした。

労災請求までそんなに手間がかからないケースだと思っていましたが、ここまできて完全に暗礁に乗り上げてしまいました。Aさんが石綿製品を扱っていたり、石綿がある環境で働いていたりという証言や証拠が見つからないのです。本人はすでに亡くなっており、直接聞き取りをすることも不可能です。そんな時、関西労働者安全センターの片岡明彦さんと電話で別件について話をしている時に、Aさんの事も話をしてみました。片岡さんは即座に「石筆や」とおっしゃり、関西労働者安全センターでは、石筆使用により中皮腫になった溶接工の労災を認めさせた事例があることを話してくれました。受話器を置いた後、事務所にあった関西労働者安全センターの機関誌「関西労災職業病」の2012年1月号を広げました。この号には鉄工所で鋼材にしるしを入れる「けがき作業」に石筆を使用した経歴が労働基準監督署の石綿ばく露歴調査で見過ごされ、労災不支給決定を一度は受けましたが、その後、関西労働者安全センターの働きかけにより労基署が新たに支給決定を行った事例が報告されていました。私自身が溶接工の実際の業務を知らず、A さんの奥様や関係者からも石筆が出てこなかったために見過ごしていたが、石筆(滑石=タルク)やベビーパウダー等粉末にしたタルクの使用によって、不純物として含まれている石綿にばく露し、中皮腫を発症し労災認定された事例はすでに常識となっています。「関西労災職業病」のページを閉じ、Aさんの奥様に電話で石筆の事を聞いてみました。Aさんの作業服のポケットにはいつも3、4本の石筆が入っていたとすぐに返事が返ってきました。

労災請求直前に改めて石筆の使用状況をご家族から聞きました。息子さんは父親の働きぶりを良く記憶しており、鋼材に思案しながら色々な印や番号を書いては手袋で消し、書いては手袋で消しているときに石筆の粉がよく飛んでいたことや、エアーで鋼材の表面を吹くと、石筆で書いた白い文字も吹き飛んで行ったことなどを話してくれました。

石筆を用いた「けがき作業」により胸膜中皮腫や心膜中皮腫が発症した事例があることに言及している論文と、A さんの奥様と息子さんから聞き取ったことをまとめた文章を労災保険請求用紙に添付し2012年12月3日、名古屋南労働基準監督署に労災請求を行いました。最終ばく露事業所は4番目に勤めた鉄工所としました。夏に相談を受けてから3か月が経過し、もう師走になっていました。