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43年前の半年間の高濃度アスベストばく露作業で中皮腫を発症し労災認定された事例(2014年10月)

2024.04.25相談事例

2009年2月13日に悪性胸膜中皮腫で死亡したIさんのことで、島根県松江市に住むIさんの義理の兄のMさんから最初の相談電話をいただいたのは2014年2月5日でした。中皮腫で亡くなったIさんは島根県出身で、1965年9月から1966年3月までの半年間、知多半島にある中部電力知多火力発電所1号機の工事現場に臨時の現地雇い作業員として焼鈍工事に従事しました。焼鈍工事とは金属配管を溶接後、溶接部を加熱し、その後温度をゆっくり降下させる熱処理作業で、溶接部の残留応力低減や延性、靱性および耐食性などの諸特性の改善を目的とする工事です。Iさんは焼鈍工事を実際に行う電工の手もと助勢(アシスタント)として、焼鈍工事の際にパイプに巻きつけるアスベスト製筒状袋入りのコイルの運搬やパイプへの取り付け、焼鈍工事後の取り外しを半年の間繰り返していました。とても、ほこりのでる作業だったようで、当時、知多半島に住んでいたIさんのお姉さんとその旦那さんだったMさんによく愚痴をこぼしていたそうです。Iさんは大阪にあった乳業会社を退職したあと、知多半島に来てお姉さんとMさんの家で面倒を見てもらっていました。

Iさんの職歴を見ると、知多半島に来るまでは乳業会社での仕事でした。知多火力での半年間のアスベストまみれの仕事の後、千葉県銚子市のラーメン屋さんに修行に行き、その後は故郷の島根県で長年ラーメン屋さんを経営していました。ラーメン屋さんをたたんだ後も警備の仕事等、アスベストとは関係のない仕事に従事しました。Iさんの労災保険申請で一番の問題になったのは、アスベストにばく露した知多火力発電所建設現場での職歴に関する記録が臨時の現地採用だったため一切残っていないことでした。年金加入記録も無く、雇用していた日本建設工業㈱にも労災保険の申請用紙への会社証明を依頼しましたが、Iさんを雇入れた記録が無いことを理由に断られました。

相談をMさんからいただいた段階で、労災保険の遺族年金の請求期限の5年が迫っていました。私はちょっと職歴を証明するのは難しいかなと思いながら、請求期限が目前に迫った2月10日にとりあえず時効を止める為、記入できるところだけ記入した遺族年金の申請書を半田労働基準監督署に提出しました。

そもそも、Iさんが知多火力発電所建設現場作業員として働き始めた理由は義理の兄のMさんの紹介があったからでした。Mさんは当時、日本建設工業㈱の正社員で、焼鈍工事には関わらなかったものの、労務担当として知多火力発電所建設現場内に置かれた知多作業所に勤務していました。Mさんが大阪から自身を頼って知多半島に来た義理の弟を日本建設工業知多作業所の電気工事部に紹介し、Iさんは臨時雇いとして働かせてもらうことができたのです。ですから、少なくともMさんはIさんの職歴を証明することが可能でした。

半田労基署への遺族年金申請後、頼りはMさんの記憶力でした。日本建設工業知多作業所の関係者をリストアップしました。既に亡くなられた方も多く、連絡が取れない方もいましたが、幸い、Mさんが共に仕事をしたOさんが名古屋市南区にご健在なのが分かり、電話で連絡を取ることができました。この方はIさんの事を憶えていました。さらに、Oさんから知多作業所の技術担当者だったAさんの所在を教えてもらうことが出来ました。AさんはIさんを知りませんでしたが、知多作業所の裁量でよく臨時工の現地雇用が行われていたことを証言してくださり、焼鈍工事の内容も知っていました。

最初は時間がかかるケースになりそうと思ったのですが、当時の関係者が高齢でありながらご健在だったため、思ったより早く労災認定の通知をもらうことができました。また、Iさんのアスベストばく露期間は約半年と認定基準より短かったのですが、高濃度ばく露が認められたのも幸いでした。