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名古屋西労働基準監督署が一度決定した給付基礎日額を自庁取り消し/定年後再雇用時に中皮腫を発症した男性のケース報告(2018年2月)

2024.04.30相談事例

はじめに

2017年11月24日、名古屋西労働基準監督署(以下、名古屋西労基署といいます。)は一度決定した中皮腫患者の労災保険の休業補償給付や遺族補償年金の1日あたりの給付金額である給付基礎日額(平均賃金)を自庁取り消しし、給付基礎日額を変更する決定を行いました。患者の男性は最初に決定された給付基礎日額が低額だったことを不服として、愛知労働局に審査請求を行いましたが棄却されていました。名古屋西労基署による自庁取り消しは、男性の死亡後、男性の妻がこの事案を引き継ぎ労働保険審査会に再審査請求をしている最中に行われました。休業補償に関しては当初決定額の9,357円14銭から20,577円94銭に変更され、遺族補償年金に関しては当初決定額9,358円から20,263円に変更されました。葬祭料の基礎となる給付基礎日額も当初決定額の9,358円から20,263円に変更されました。本稿では名古屋西労基署の給付基礎日額変更決定事案について報告します。

最初の相談

Iさんは1971年4月から2013年10月まで全国に支店を持つ電気工事会社で正社員として施工や現場管理業務に従事しました。2013年10月の定年退職の翌日から1年ごとに契約更新する嘱託職員として再雇用され、JR浜松工場で中央監視システム構築の仕事に従事していた2016年1月に悪性胸膜中皮腫を発症しました。中皮腫の発症は、正社員時代に古いビルやデパート等の改修工事現場で吸い込んだアスベストが原因でした。JR浜松工場は2010年7月よりリニューアル工事が行われ、Iさんは既存の建物を撤去した後に建てられた、アスベストのない新築の施設で仕事をしていました。2016年9月末に名古屋西労基署に労災認定されたものの、嘱託職員になってからの低い平均賃金で労災の休業補償給付の支給額が決定されてしまい不満に思っていたところ、中日新聞で2016年10月29日に浜松市でアスベスト被害相談会が開催されることを知り、浜松科学館の相談会場にお連れ合いと娘さんとともに来場され相談されました。

大阪の石綿パッキン工場労働者の事案についての労働保険審査会裁決

Iさんから相談を受ける少し前、2016年7月に労働保険審査会がIさんのように定年退職後、再雇用されている時に中皮腫を発症した男性の労災保険の給付基礎日額の算定について画期的な裁決を出していました。裁決は、かつて石綿パッキンを製造していた大阪府にある工場で定年退職まで働いた男性が、退職後、既に石綿製品の製造を中止していた同じ工場に再雇用され、パートとして働いていた時に中皮腫を発症し労災保険請求したところ、労災認定した労基署に給付基礎日額をパート時の低い賃金で算定されてしまったため不服申し立てをした事案についてでした。大阪労働局での審査請求は棄却されていましたが、再審査請求の審査を行った労働保険審査会が男性の訴えに対し「定年退職を契機として、一旦会社を離職し、その後、新たに会社と従前とは異なった内容の労働契約を締結して、会社に改めて再雇用されたものとみるのが相当で、定年退職時に最終ばく露事業場を離職したもとのするのが相当」とし、男性の労災の給付基礎日額をパート時の賃金でなく、より高い定年退職前3か月間の賃金で算定することを命じる裁決をしました。

この裁決を詳しく見ると、労働保険審査会が男性のケースについて定年退職を契機として、一旦会社を離職し、その後、新たに会社と従前とは異なった内容の労働契約を締結して、会社に改めて再雇用されたものとみるのが相当とした理由が4つあることが分かります。1つ目は男性は定年退職後、正社員から契約社員へと変更されるとともに、「班長」の役職も解かれていること、2つ目は男性の給与明細書等に記入された就労実態を見ると、1日の労働時間に変更は認められないものの、1か月当たりの勤務日数は正社員当時20日前後であったものが、契約社員となってからは15日となり、時間外労働や休日労働にも従事していなかったこと、3つ目は男性が正社員当時は基本給のほか資格手当等多くの手当が支給されていましたが、契約社員になると、基本給と通勤手当が支給されているにすぎず、基本給についても324,500円から100,000円へと大幅に変更されていること、4つ目は契約社員となってからは、アスベストにばく露する作業には従事していないことです。

筆者はこの裁決の内容をIさんから相談を受ける前に知っていたので、Iさんにも大阪の男性と同じような賃金、身分等の変更が再雇用時に行われており、この男性と同じようにすでに決定された給付基礎日額を変更させることが可能だと思いました。Iさんには愛知労働局に審査請求することを提案し、センターが支援することになりました。

愛知労働局・名古屋西労基署での面談

労働局へ審査請求書を提出する前に筆者は愛知労働局の監察官と所轄の名古屋西労基署の副署長、労災課長と面談をしました。理由は、前述の大阪府のかつての石綿パッキン工場の労働者が定年後再雇用時に中皮腫を発症した事案の給付基礎日額の算定に関する裁決がすでに出ていたので、この事案の労働保険審査会の裁決書を見せることによって、Iさんの事案について審査請求することなく、すでに決定された給付基礎日額が名古屋西労基署によって変更してもらえるのではと考えたからです。労働局の監察官、監督署の副署長ともに「労働保険審査会が示した大阪の事案に関する給付基礎日額の算定方法は、じん肺症の労災認定時に用いられる運用で、中皮腫のような石綿関連疾患においては、発症前3か月間の賃金で給付基礎日額を算定することになっている。一旦定年退職し、その後再雇用され賃金、身分等が変わっていても同一事業場での雇用の継続性が認められるので給付基礎日額の変更は行えない。不服がある場合は審査請求して欲しい」という意見で、最終的に12月9日付で審査請求書を労働局に発送しました。筆者が審査請求代理人になりました。

審査請求

審査請求をしてIさんご本人の申立書、代理人である筆者の意見書を提出しました。Iさんの申立書は、正社員であった時は基本給の他、職能給や他の手当がある課長格の高額な賃金だったのが、定年後嘱託職員になってからは月28万円の基本給と3,900円の交通費が支給されるだけになり、労働時間も短くなったこと等から定年退職を契機として、一旦電気工事会社を離職し、その後、新たに会社と従前とは異なった内容の労働契約を締結して、電気工事会社に改めて嘱託職員として再雇用されたと言えること、正社員時は石綿ばく露があり、嘱託職員になったときは勤務先だったJR浜松工場が石綿使用禁止後にリニューアルされた建物だったため石綿ばく露が無かったこと等を主張し、前述の大阪の事案についての労働保険審査会の裁決があることから、定年退職前3か月間の賃金での労災の給付基礎日額の算定を行うことを求めるという内容でした。その後、再審査請求時にIさんの勤務先だった電気工事会社から定年退職直前3か月間の賃金台帳の開示を受けましたが、一番総支給額が多い月で50万円近い違いが定年前と嘱託職員時の賃金にはありました。申立書を提出して間もない12月26日にIさんはお亡くなりになりました。葬儀に会社の同僚の方々が多く参列されていたのが印象的でした。

Iさんの死後、審査請求はIさんのお連れ合いのYさんが継承しました。審査請求では、労働保険審査官が審査請求人から審査請求の趣旨や理由について直接聴取を行います。2017年2月23日に浜松労働基準監督署で行われた聞き取りにはYさんと代理人の筆者が行きました。Yさんから聴取を行った後、3月末日での定年を目前に控えた審査官は「Iさんの申立書やあなた(筆者)の意見書を見ると確かにそうだと思うけれど、労働基準法や関係する通達を見るとあなたたちの主張を認める事は出来ない。(大阪事案の)裁決書はじん肺に罹患した労働者の給付基礎日額の決め方で石綿関連疾患に罹患した労働者には当てはまらない。今後、このような裁決が複数労働保険審査会で出れば法律も変えられるだろうけれどね」と言い放ちました。労災保険法施行規則において、じん肺にかかった労働者の給付基礎日額については、最後に常時粉じん作業に従事していた時の賃金で算定することになっていますが、これは給付基礎日額の算定の特例の一つで、通常は職業性疾患発症3か月前の賃金で給付基礎日額の算定を行うことになっており、そうした理由からこの審査官は筆者達の主張を認める事が出来ないと言ったのです。しかし、中皮腫のように長い潜伏期間を経て発症する職業がんに罹患した労働者の給付基礎日額を発症前3か月間の賃金で計算した場合、Iさんのように低額になり不利益を被る被災者が多くいることが分かってきています。

審査官の聴取から1か月程経った3月30日、審査請求は棄却されました。理由は、労基法第12条における平均賃金(給付基礎日額)算定期間は、平均賃金算定事由発生日(職業性疾患になった日)の直近の賃金締切日から遡った3か月間であること、昭和63年3月14日基発150号通達により、定年退職による退職者を引き続き嘱託等として再雇用している場合は継続雇用しているとみなすことから、Iさんの定年をもって事業所から一旦離職したとはみなすことは出来ず、労基署が決定した最初の平均賃金額を取り消す必要はないというものでした。また、Iさんの最終石綿ばく露事業場との労働契約が定年前の正社員時であったことも、請求人らは被継承人(Iさん)が直前の作業で石綿作業に従事していない旨、訴えているが、じん肺については作業転換の特例が施行規則により定められているが、石綿に関しては特別な規定も通達も存在しないと退けました。

厚労省との交渉

筆者はIさん以外にもニチアス羽島工場に高卒後から定年退職まで勤務し、定年後契約社員となり働いた後、再び再雇用され同工場で月6万円でアルバイトをしている時に中皮腫を発症したため、1日あたりの労災保険の給付基礎日額を4000円程にされてしまった事案に関わっています。Iさんの事案の審査請求中、2017年1月19日、東京の近藤昭一衆議院議員の事務所で厚労省労働基準局の担当者と面談し、Iさんとニチアス羽島の元労働者の事案について、給付基礎日額の計算を先に出た大阪事案の裁決に基づいてやり直して欲しいと要請しました。しかし、厚労省の担当者は大阪事案の裁決は個別事案とし、「発症前3か月の賃金で給付基礎日額を算定することになっている」と繰り返すばかりでした。

Iさんの審査請求棄却直前の3月15日に行われた、全国安全センターの厚労省交渉でも是正を要望しました。労働基準局補償課の回答は、「再雇用後の賃金により給付基礎日額が低額となってしまうことについては、定年退職時の賃金や石綿ばく露の各時点の賃金のうち一番高い額などを基準とすることについては、災害発生時の稼得能力を適正に評価し、これに基づいた災害補償を実施することで労基法上の使用者の災害補償責任を担保するという労災保険制度の趣旨に反することから従来の取り扱いを変更することは困難」というものでした。

5月16日にIさん事案の再審査請求書を労働保険審査会に送りました。再審査請求人はお連れ合いのYさんで、代理人には、筆者が就任しました。

衆議院厚生労働員会での堀内照文議員の質問


中皮腫アスベスト疾患・患者と家族の会の働きかけで、6月9日、衆議院厚生労働員会で堀内照文議員が中皮腫患者の労災通院費の問題等とともに、Iさんのように、定年後再雇用時の低い賃金が労災保険の給付基礎日額の算定基礎になり、給付基礎日額が低額になってしまっている問題について質問してくれました。堀内議員は大阪事案に係る労働保険審査会の裁決が出ていることを踏まえた上で「各労基署ですとか地方の審査官の判定なんかを見ますと、単に同じ職場で働いているからということで継続とみなされているという場合がかなりあるわけなんです。そのうちの一つで、こういう文言がありました。その理由に、じん肺については作業転換の特例が施行規則により定められているが、石綿に関しては特別な規定も通達も存在しないというものであります」とIさん事案の審査請求が棄却された時の愛知労働局の決定書の一文を引いてこの問題について追及しました。堀内議員の質問に対する山越政府参考人の答弁は「ご指摘をいただきました定年退職後に引き続き再雇用された方が離職後に石綿関連疾患などの遅発性疾病を発症された場合でございますけれども、これにつきましては個別事案ごとに適正に判断をしていきたいというふうに考えております」というものでした。この質問の影響か、この後、厚労省労働基準局補償課は「(大阪事案について)労働保険審査会の裁決で示された、定年退職後同一企業に再雇用された後に石綿関連疾患等の遅発性疾病を発症した場合の給付基礎日額の決定については、当面の間、本省で個別に判断することとするので、現在調査中のものも含め、該当事案を把握次第、本省に報告すること」とした通達を6月26日付で全国の労働局労働基準部長あてに発出しました。

厚労省の通達発出

6月26日に発出された通達(基補発0626第1号)は「定年退職後同一企業に再雇用された労働者が再雇用後に石綿関連疾患等の遅発性疾病を発症した場合の給付基礎日額算定について」という長い表題です。7月15日、他の担当者がこの通達を入手しメールしてくれたことから筆者は知ることが出来ました。

8月2日、東京の堀内照文議員事務所で定年後再雇用時の低額給付基礎日額の問題について厚労省の中央労災医療監察官と面談しました。この時は前述のニチアス羽島工場に定年まで勤め、定年後契約社員として雇用された後、再び同社で月の賃金が6万円程でアルバイトをしている時に中皮腫を発症したため労災の給付基礎日額を極めて低額にされた男性の事例を中心に議論しました。ニチアスの男性の事案は発症が2008年で、2009年1月の最初の給付基礎日額決定時に不服申し立て(審査請求)を行わなかった事案でした。筆者達は6月26日通達は調査中又は不服審査中、係争中の事案のみでなく、過去に決定した事案についても適用されるのか厚労省を問いただすと共に、このニチアス元従業員の事案が岐阜労働局から本省にすでに報告されているか確認して欲しいと要望を伝えました。この日、中央労災医療監察官は個別ケースについては答えられないとしながらも、過去に決定したケースについても通達から排除するものではないと返答していました。

翌日、堀内議員の秘書さんから、中央労災医療監察官からの連絡を伝えるファックスがセンターに届きました。ファックスは、中央労災医療監察官が岐阜労働局に確認したところ、ニチアスの元従業員の事案については2015年に遺族補償年金の給付が決定しており、その時に不服申し立てが無く、また、現在、係争中でもないことから中央労災医療監察官としては通達の対象外であると考えていると堀内議員事務所に伝えてきたこと、伝えてきた内容が筆者達との面談時の話と後退した印象だった為、堀内議員が頑張ってくれ電話で中央労災医療監察官に確認をしたところ、過去に決定したケースでも、監督署の事実誤認があれば是正するケースはあること、通達は係争中を対象としているが、過去に決定した事例を排除するものではないという返事が得られたということを伝えるものでした。秘書さんからのファックスは、(厚労省は)積極的に救済する立場ではないですが、昨日のレクチャー同様、過去の事例は排除しないとの見解でした。堀内議員からは、現場で通達の対象外だから切り捨てることのないよう丁寧な対応を求めましたと結ばれていました。この厚労省との面談の後、12月1日、ニチアス元従業員のお連れ合いと筆者は、岐阜労働局の監察官と面談し、ニチアス元従業員の低額給付基礎日額事案について本省に報告することを要請し、監察官は報告することを約束してくれました。

当時、筆者らはこの事案について、定年でなく、再雇用後におけるアルバイト時に発症した事案で、(前述の昭和63年3月14日基発150号通達のような)当時の継続雇用の考え方にも沿っていないので、変更し現通達に沿って処分をし直すことが必要と考えていました。岐阜労働局から結果に関する連絡はありませんでした。

8月22日、筆者は6月26日通達を持って名古屋西労基署へ行き副署長とIさん事案の原処分時の労災課担当者と面談しました。副署長はすでにIさんの事案は厚生労働本省に報告したとのことで、筆者は事案の概要を説明し自庁取り消しで対応して欲しいと要請しました。

再審査請求

再審査請求では、再審査請求人やその代理人が公開審理に出席し、審査長、審査員、参与の前で意見を述べることが出来ます。Iさんの再審査請求の審理期日は10月24日になりました。名古屋西労基署からはなんの連絡もなく、このまま再審査請求で裁決を受けなければならないだろうと考え、公開審理の1週間前に労働保険審査会に意見書を提出しました。意見書においては、定年退職を契機として、Iさんは、正社員から1年ごとに会社と労働契約を締結する嘱託職員へと変更されるとともに、賃金についても、正社員時に支給されていた本人給、職務手当や他の手当を含むより高額な「課長格」の賃金から、嘱託職員になり基本賃金280,000円と通勤手当3,900円のみが支払われる賃金に変更され、Iさんの賃金が定年退職を契機として大幅に変更されたことが会社より提供を受けたIさんの定年退職3か月前の賃金台帳で確認出来ることや、定年退職後は、リニューアル工事後のJR浜松工場の中央監視システムを構築する仕事に従事し、JR浜松工場内工事事務所での電気配線図面の作成、打ち合わせ資料の作成、必要な資材の発注や下請け業者に依頼した施行工事への立ち会い等の業務を行っていましたが、石綿含有率が1パーセントを超える建材、摩擦材、接着剤等10品目の製造、輸入、使用は2004年10月より禁止されていることもあり、この時すでに施工現場での石綿ばく露の可能性がなかったことなどを主張しました。

10月24日の公開審理にはIさんのお連れ合いのYさんと娘さん、筆者が愛知労働局と労働保険審査会をテレビ電話で結んだテレビ審理に出席し意見を述べました。Yさんは定年退職してIさんの帰宅が早くなり、正社員の時に比べて労働時間が短くなり、定年退職を契機として夫の労働条件が大きく変わったことを述べました。

自庁取り消しの連絡

公開審理から1か月経った11月30日、Yさんから筆者に電話があり、名古屋西労基署が当初決定したIさんの労災保険の給付基礎日額を自庁で取消し、定年退職前3か月間の賃金で給付基礎日額の算定をし直すことを決めたと労基署の副署長から連絡があったと伝えられました。なぜ変更することになったのか名古屋西労基署の副署長に筆者が電話したところ、「厚生労働本省からの指示でなく、6月26日通達が発出されたことから署で調査をやり直し給付基礎日額の変更を決定した。本省、労働局から意見は聞いた」という返事が返ってきました。遺族補償年金の給付基礎日額に関しては当初決定額9,358円から倍以上の20,263円への変更で驚きました。Iさんとお連れ合いのYさんがあきらめずアクションを起こしたことが良かったと思いました。

Yさんと相談し、再審査請求は12月に取り下げました。