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中皮腫患者の文学/小説「仄かな希望」の出版(2016年6月)

2024.04.25相談事例

悪性胸膜中皮腫で闘病中の橋本貞章さん(67)からの電話を受けたのは昨年7月でした。電話の内容は「患者と家族の会(中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会)のことを少し前の新聞記事で知った。自分は中皮腫の患者で、今回闘病記を自費出版した。東海支部と本部にそれぞれ一冊ずつ献本したので住所を教えて欲しい」というものでした。私のいる事務所には患者と家族の会東海支部事務局も置かれています。橋本さんは、大雪に見舞われた2014年2月8日に名古屋市内で行った既存アスベスト問題や教職員のアスベスト健康被害に関するセミナー開催とセミナー後のホットライン実施を伝える毎日新聞の告知記事をスクラップして保存してくれていたのです。ほどなくして、橋本さん自身の中皮腫闘病体験をもとにして書かれた小説「仄かな希望」が郵送されてきました。橋本さんは当初、一粒社という自費出版の会社を利用し100冊「仄かな希望」を印刷し、大学時代の友人や会社の先輩などに配りました。私に送られた本には橋本さんからの手紙が添えられており、「(中皮腫)再発の恐怖と不安におびえながら日々を過ごしておるところでございます。その恐怖心や不安感から少しでも逃れたくて日記のような形で文章を書き上げ、本という形にいたしました。死というものが、自身のことであると認識したとき、家族や友人達やその他お世話になった方々に謝意という自分の気持ちを伝えたかったのです」としたためてありました。

家に帰り、床にひっくり返り贈られた本を読み始めました。「仄かな希望」を読んで、中皮腫の患者さん達がたどる絶望や受ける医療や副作用の苦しみがしっかりと伝わってきたのと同時に、ここまで細かく片肺を全摘出する手術を受けた患者さんから療養について聞いたことはないと思いました。面談や電話で中皮腫の患者さんとお話しする時は、時間的制約があるのと、労災保険申請や石綿健康被害救済給付制度の申請などの支援のため、職歴や居住歴の聞き取りが中心になり、療養生活の細かな部分まで話が及ばないことがほとんどだったからです。私は2009年の3月に労災・職業病に対応する相談員になって以来、100人を超える中皮腫の患者さんとお話ししてきました。その私でさえこうなのですから、一般の人たちや中皮腫の療養をこれから受けなければならない患者さんたちにとっては、中皮腫という病気の医療など全く未知のものなのだということがこの本を読んで実感できたのです。また、私はアスベスト公害や被害実態を告発する本や、中皮腫の患者さんや家族の短い手記を集めたアンソロジー等は読んできましたが、一人の中皮腫患者によってここまで克明に中皮腫の療養について書かれた本はいままで読んだことがないと思いましたし、類似の本についても聞いたことがないと思いました。「仄かな希望」を読み終わった後、私は愛知県内に住む橋本さんを訪ねることにしました。

橋本さんと面談したことにより、2012年の春に中皮腫を発症し、自分が生きて来た証を残そうと考え、長年ゼネコンの現場監督として仕事をした経験を基に、「仄かな希望」の前に、欠陥マンションの問題を扱った小説「藤堂主任助けてください」を自費出版したこと、労災保険は申請していないことなど様々なことが分かりました。東京の患者と家族の会本部事務局の澤田慎一郎さんとも相談し、私たちは「仄かな希望」を街の本屋さんに並べることができるよう、一般の出版社から発行するため動くことを決めました。断られることもありましたが、幸い、アスベストの書籍を発行してきた京都市のかもがわ出版が協力してくれることになり今年3月28日、「仄かな希望」は発行されました。石綿救済法施行からちょうど10年目でした。

小説「仄かな希望」は中皮腫患者の闘病生活、受ける医療や苦痛のみを描くのでなく、患者の娘さんの婚礼や親友との語らいなどの日常生活が物語に組み込まれ進行していくため、読者が読むのを途中で放棄せずに最後まで読むことができる、受け入れやすい本になっています。もし作者の橋本さんが、片方の肺を全摘出するという過酷な手術を伴う中皮腫の闘病について、事実のみ列挙する手法を用いていたら、「仄かな希望」は一般の読者にとって読むに堪えないものになっていた可能性がありますが、小説の手法を取り入れたことによりこの本はとても読みやすいものになりました。この点について橋本さん自身「中皮腫の発症を告知されたばかりの頃、近所の図書館へ行ってがん患者の家族が書いた本を2冊借りて読んだけれど、とても最後まで読めませんでした。自分が本を書く時は最後まで読める本を書きたかった。だから、小説という手法を使おうと思いました。病気になって家族が献身してくれたこととか、医療者に良くしてもらったことなどに気づくことも多くなった。そういったことも書きたかった」と述べています。

中皮腫という病名を聞いて、アスベストが原因の恐ろしいがんであることを知る人は多くはないと思います。アスベスト関連疾患で闘病している患者さんやその家族、家族をアスベスト被害で亡くした遺族の方々の中には「仄かな希望」を読むのは気が重いという意見がありますが、アスベスト被害を知らない人々に具体的にその被害を伝える文学に橋本貞章さんの「仄かな希望」はなっていると私は考えています。橋本さんの労災は今年3月、労働基準監督署によって認定されました。